明け方の雨は 過去の出来事を洗い流してくれるよな気がする。
だから香南はこの時間の雨が好きだ。
まだ薄暗い窓には ベットサイドの朱色の灯りにぼんやりとしている室内が鏡のようにうつる。
外を見つめる自分の顔が窓に映っている。
「おかあ……さん…」
香南は呟いた。
母に似たこの顔は大嫌いで同時に好きな顔でもある。
香南の母は実は本当の母ではない。
本当の母の双子の姉。それが今の母だ。
普通ならそれは伯母と言うべきだろうが戸籍上は今の母の実子となっている。
本当の母親は香南を産んですぐに亡くなった。
だから実母について香南は何も覚えてはいないし、産んでもらったという感情以上のものは持ち合わせてはいない。
実母が母(今の母)の夫と不倫して身ごもったのが香南である。
そして父は何食わぬ顔で香南を自分達夫婦の戸籍に入れた。
当然、母のやるかたない憎しみは全てが香南に向けられた。
それでも香南は母が好きだった。
母にはいつも 誰よりも笑っていて欲しかった。
誰だって自分の母親を嫌いな子供なんていない。
幼い頃はどういういきさつで自分が疎まれるのかなんて全くわからなかったから きっと自分がとても悪い子だからなのだろうと思っていた。
どこかを直せばきっと母の愛を得られると思っていた。
そしてそれは違うとわかった時からは 母の行き過ぎた虐待とも言える行為も仕方ないのだと諦めた。
そして自分が産まれてきたことを呪った。
母の愛が永遠に得られないと理解してから香南はずっと自分を求めてくれる人を探していた。
中学に入ってから知った初恋は 妹を教えに来ていた家庭教師だった。
たくみにしかけられた罠に自分から落ちるように抱かれた。
必要とされる喜びに身も心も満たされたとき それが全て母の差し金で 自分を傷つけ汚すためであったと知った。
そのときから香南の心の世界はバランスを崩しかけていた。
あれから何度母の手に落ちただろう。
堕ちて汚れていく自分に母が喜ぶなら それもいいと思えるようになった。
あの日小倉は部屋にあらわれてから しばらくは口ごもり言いにくそうにしていた。
母はいつもその美貌で男をたらし込み 自分への復讐の駒にするのだ。
だから香南には小倉が自分を傷つけに来たことはわかっていた。
いつも街をうろついている小倉は 香南の悪友の一人でもある。
ちゃんとしたやくざでもなく、といってカタギとも言い切れない小倉は昔からモデルをしていた母の熱狂的なファンだった。
その母に頼まれて拒めるはずもない。
小倉が出したナイフを見たときは さすがに背筋が震えた。
「殺しはしないよ。ただその綺麗な身体に傷を付けるだけでいいんだ」
小倉はとても申し訳なさそうにしていた。
ナイフは銀色の冷たい憎しみ色に光っていた。
「ねえ、母は本当に傷つけるだけでいいと言ったの?……殺してって言ったんじゃない?」
小倉はふるふると首を振っていたが その怯えた顔は無言の肯定を表してた。
殺されたほうがいっそいい。
香南は心からそう思った。
それで母が満足して笑える生活を手に入れられるのなら自分は満足だとさえ思った。
小倉は目を瞑って身体を晒した香南の前で苦悩を浮かべたまま暫く動けなかったが とうとう意を決したように左肩を傷つけていった。
小倉はいいかげんな奴だ。
それでも一応自分の仲間だった。
それさえもこともなく崩していく母。
それほどまで嫌われていく自分。
誰も誰もいない。
心が痛くてたまらない。
じくじくと肩が痛んだがそれは心の痛みを一時忘れさせてくれるようでうれしくさえ思えた。
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